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卑弥呼の言の葉
レインスティック奏者&ダンサーの卑弥呼が語る 日々の言の葉。ありきたりの毎日に隠されている宝物をいっしょにさがしましょ。
DATE: 2006/10/28(土)   CATEGORY: ダンス
大野一雄さん100歳の日
昨日は記念すべき日。
大野一雄さんの100歳のお誕生日。

100歳まで舞踏家と名乗ることが出来た方が
世界中にいったい何人いたでしょう。
昨日の大野さんは確かに舞踏家でした。

大学1年のときに初めてお会いしてから
ずっとずっとまたお会いしたいと夢見て
ようやく再会が果たせた日。
大野さんは、車いすに座り、目をつむり、
口をぽか~んと開けて会場の中にいらっしゃいました。

ほとんど動くことはありません。
でも、呼吸をし、食事をされていた。
大きなあくびもしました。

先生は、ずっと「死」というテーマを
踊っていらっしゃいましたが
昨日の先生のお姿から、私は逆に「生」を感じました。

人間は、呼吸をし、ものを食べ、立って、歩く。。。
ほかにもいろんなことをして生きていますが
それらを年とともにひとつひとつ失っていく訳です。
先生に残されていらっしゃる行為は、
呼吸をするということと、流動食の食事を食すということ。
でも、その行為に必死に向き合っていらっしゃる。
「生きる」ってすごいことなんだと
簡単に命を絶ってしまうことが
なんと、罪深いことなのかということを
先生のお姿は物語っていました。

パーティー会場の下のスペースでは
「イエス 花 死 生」という映像も上映されていました。
ベッドの中で、必死に生きることに
向かい合っていらっしゃる先生のお姿に
ただただ涙があふれてしまいました。

特にすばらしかったのは、
最後の映像。

ほとんど無表情で動くことない先生が
息子さんの大野慶人さんに車いすを押されて
稽古場に現れ
ひとり、ぽつんと置き去りに。。。
その稽古場に音楽が響き渡ります。

しばらく全く動かないままの先生ですが
次第に、私が惚れ込んでしまった大野先生の
細くて長~い指をもった大きな手が
音楽に合わせて動き始めるのです。
たしかに、あのとき先生は踊っていらっしゃいました。
舞踏家、大野一雄のお姿でした。

昨日、生で先生にお目にかかれることが出来
私は、ただただ先生のお姿だけを目で追っていました。
たくさんのお弟子さんたちの舞も披露されましたが
私の目の先には、いつも大野先生が映し出されていました。
映像の中で動き出した、あの手がいつか動くのではないかと
そんな気がしていたからです。

そして、一度だけ確かに動いた瞬間がありました。
それは、車いすの女性が、先生の横に座られて
先生の手を優しく取ったときのことです。
先生の指先は確かにその女性の手を
ギュ~っと握りしめました。
そして、お顔に微かに笑みが浮かんだように見えました。

そのお姿にもまたまた感動してしまい
涙が止まらなくなりました。

私は、「舞踏」というジャンルに抵抗がありました。
今でも、まだすべて受け入れられない自分がいます。

しかし、大野一雄という一人の偉大な舞踏家の存在は
私のダンス感を大きく変えてしまいました。

踊るっていったいなんなのだろう。。。
ダンサーっていったいなんなのだろう。。。

大野先生は、たくさんの宿題を私に与えてくださいました。

これは、私が「死」を迎えるまでの永遠の課題になりそうです。
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